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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(行ツ)49号 判決 1972年11月09日

福井県足羽郡足羽町徳光第三五号二三番地

畑仲石一訴訟承継人

上告人

畑仲ヨシ子

同所同番地

上告人

畑仲忠恵

同所同番地

上告人

畑仲一

右三名訴訟代理人弁護士

吉田耕三

福井市春山一丁目六番一号

被上告人

福井税務署長

大住弘之

右当事者間の名古屋高等裁判所金沢支部昭和四〇年(行コ)第二号所得税更正処分取消等請求事件について、同裁判所が昭和四三年二月二八日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人吉田耕三の上告理由第一点について。

所論は、違憲をいうが、その実質はたんなる法令違背の主張にすぎず、右主張が失当であることは第二点について判断するとおりである。論旨は採用することができない。

同第二点について。

所論の点に関する原審の判断は、正当として首肯するに足り、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立つて原判決を攻撃するものにすぎず、採用することができない。

同第三点について。

原判決の所論指摘の判示部分に所論の違法はなんら認められない。論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 岩田誠 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三)

(昭和四三年(行ツ)第四九号 上告人 畑仲石一)

上告代理人吉田耕三の上告理由

第一点 原判決は、憲法第八〇条及び同法第三〇条の明定する租税法律主義並に同法一四条第一項の租税平等主義に違背するものである。

有価証券の売買については、所得税法施行令第二六条の規定があり、一定基準を超える有価証券の売買に因る所得を事業所得として、課税することゝしているが、人造絹糸の取引所に於ける売買については、何等の規定もなく、且つ通達も出されていないばかりでなく、納税申告及び課税の実績もないのである。

而も本件所得の税法上の種類については、学者の間に於ても争いのあるところであるから、(本件につきなされた鑑定の結果も三通りになつている)、租税法律主義の立場よりすれば、有価証券の売買についてと同様、所得の種類について明文を設けるべきであり、取引所に於ける各種商品の売買に因る所得について何等の規定もなされていないことは、まさに立法の不備と言わねばならない。

以上の如き現状に於て、租税法律主義並に租税平等主義を守らんとすれば、すべからく「疑わしきは課税せず」との民主々義的、課税基準に則り、本件所得については、納税者にとつて負担の最も軽い一時所得として、課税すべきである。

然るに原判決は右原則に違反し、本件所得を納税者にとつて最も責任の重い事業に依る所得と認定したことは、憲法第八〇条、同法第三〇条及び同第一四条第一項に違反するものとして破棄をまぬがれないものである。

第二点 原判決には所得税法の解釈と適用を誤つた違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであると信ずる。

旧所得税法第九条一項第九号に一時所得とは、利子所得、配当所得、不動産所得、事業所得、給与所得、退職所得、山林所得、譲渡所得以外の一時の所得であると規定されており、学説上、定型的所得源泉を有しない偶発的所得がこれに含まれるとされている。即ち、旧所得税法の所得分類の構造から考えると、右八種類の所得以外の所得は一時所得と雑所得の二種類になる。

而して営利を目的とする継続的行為から生じた所得は一時所得とされないから、右八種類のいずれにも該当しないときは、雑所得になる。又営利を目的としない場合でも継続的行為から生じた所得は、一時の所得という概念に当てはめ難いから同じ雑所得であると考えられる。

この様に推理を進めて行くと税法で一時の所得と言つているのは、その所得の性質が規則的継続的に発生するものでなく、不規則的、偶発的に発生するもの(定型的所得源泉を有しないもの)を指しているものと考えることが出来る。その所得の性質が一般的に考えて不規則性、偶発生を有するときは、所得する人の側からみて、連続的傾向を有していても、これを一時所得と見るべきであり、之に反してある所得の性質が一般的に規則的、継続的な性質を有している時は、ある特定の人における所得の帰属が臨時的傾向を有していても、一時の所得と見ることは出来ない。

本件の所得の種類は右考え方を前提として決定さるべきであるが、原判決は、上告人が福井人絹取引所及び大阪化学繊維取引所において、昭和三〇年より昭和三一年までの間になした本件人造絹糸の清算取引は、対価を得て継続的に行つた売買取引であつて、売買ともに各約七〇〇回、取引数量各約二〇〇万封、取引総金額約数億円、利益約三、六〇〇万円と言う大量且つ反覆継続した営利目的の行為であり、社会通念上対価を得て継続的に行う事業であるから、本件所得は、上告人の事業所得であると見るのが、相当であるとの判断をしたのであるが、右判決は左記の点に於て、税法の解釈を誤つたものであると言わねばならない。

原判決は、本件の如き所謂非営業者と営業者の区別をすることなく(人造絹糸の売買若しくは人造絹糸を原料とする製品製造業者或いは人造絹糸を原料とする製品の売買業者)、所謂非営業者のなした人造絹糸の一回限りの清算取引の性質を考えることなく、取引回数、取引数量、取引総金額、利益と言う結果だけをとらえて本件所得は事業所得であると断定したのは全くの誤りである。

即ち非営業者のなす一回限りの人絹の清算取引は人造絹糸そのものを必要とするものではなく、清算取引に依つて生ずる差金の獲得のみを目的としているものであり、原判決は右取引の性質そのものについては、一時所得とも又雑所得とも言つていないが、暗に一時所得であると認めているものであることは、判決書全体の趣旨から之をうかがい知ることが出来るのである。

即ち原判決が、「たゞ実状において、履行期が将来の一定時であることゝ、取引所の機構上、大量且つ反覆取引が可能であり、又商品も限定されていて決済が容易であるなど集団的取引に適合するよう高度に技術化された組織機構の特殊性から他の売買にみられない投機的な取引が行われたり、相場師といわれる者が出る訳であるが……個別的にみて各個の取引に関する利益の発生が不確実偶発的であるからと言つて直ちに本件の如く、反覆継続して大量に行われた取引についてまで事業性を否定することは出来ない」と言つている点にこれを見出すことが出来るのであるが、原判決は、個々の取引による利益の発生が、不確実であり、且つ偶発的であることを認めながら、本件の如く清算取引がたまたま継続している場合、何故個々の取引の帯有している不確実性、偶発生がなくなつてしまうのか、その説明を全くなしていない。

旧所得税法第九条第一項四号の事業概念を導き出す継続性と言うのは、一般的に定型的な所得源として客観的に継続することが可能と言う意味に解釈されなければならないと信ずるのであるが、原判決は、偶然にも連続した本件取引の結果をとらえて、継続性の概念を導き出したものであり、清算取引に因る利益の発生は、本来不規則的、偶発的なものであり、一般的に言つて継続して行うことが不可能のものであり定型的所得源とはなり得ない性質のものであることを忘却したものに外ならない。

即ち、本件清算取引は偶然にも又幸にも継続することが出来たまでのことであり、結果的に発生した継続性又は連続性はあくまでも偶然的な法律事実であつて、所得税法第九条第一項四号に所謂継続可能性を意味するものであつてはならない。

甲第十九号証に依つても明かである如く、上告人は<1>昭和三〇年六月三日の絹糸統制撤廃に依る大暴落(一七二円五〇銭)の時期に買玉を立てたところ、上告人の思惑通り、同年九月三〇日の絹糸不足に依る高値がついたので、その時点(一九五円一〇銭)に於て、転売を行つて一勝負し、<2>同年一〇月一一日の暴落の時点(一七五円七〇銭)に於て買玉を立て、昭和三一年一月の高値(二〇七円)で転売して一勝負し、<3>同年三月一日の安値(一八八円九〇銭の時点で買玉を立て同年五月八日の高値(二三五円)で転売して利益をあげ、<4>同年六月の安値(二〇六円七〇銭)及び同年八月一日の安値(二一一円三〇銭)の時点で買玉を立てゝいたところ、同年十月エジプトのナセル首相のスエズ運河国有化宜言と言う突発的な事件が起り、二三八円七〇銭と言う高値を呼んだので転売して利益をあげ、<5>同月末相場が二一三円九〇銭に暴落した時点で買玉を立てたところ、中近東の動乱発生に依つて相場は二五八円にまではね上つたので、こゝで転売して利益を得ると共に売玉を立てたところ、昭和三三年五月三一日の大暴落に依つて、思わぬ利益が生じたわけであるが、ナセル首相のスエズ運河国有化宜言、中近東動乱などと言つた事件は、あらかじめこれを予知しておくことは不可能であり、仮に予知し得ても人絹相場があがるか下るかは、その場になつて見なければ分らないことであり、上告人が清算取引を継続することが出来たこと、そして利益をあげ得たことは全く偶然であつたと言わねばならない。

然るに原審は右の如き、偶発的な法律事実をとらえて本件取引には旧所得税法第九条第一項四号の継続性があるとの結論を導き出しているのであるが、法律事実の価値判断と旧所得税法の適用を誤つたものと言わねばならない。

即ち原判決は、客観的一般的に言つて、継続させることが可能であるかどうか(定型的所得源泉となり得るかどうか)の問題と偶発的奇蹟的に連続した法律事実を混同したものに外ならないのであつて、法律を適用する以前の段階に於てなさなければならない法律事実の価値判断を全くしていないものであると言わねばならない。

第三点 原判決には、本件所得の種類を認定するにあたつて附した理由に齟齬があり、その齟齬の著しさは理由を附さないに等しいものである。

原判決は「一回的な行為としてみた場合、所得源泉とは認め難いものであつても、これが連継して継続的行為となるに及んで所得源泉とみられるに至る場合、即ち所得が質的に変化する場合のあることを否定することは出来ない」との前提に立ち、本件清算取引による所得の種類については、「取引の回数、数量、金額、取引の種類、その他の状況に照し判断すべきところ、本件において、前記認定の如き本件取引の回数、数量及び金額に照らせば、ゆうに右は営利目的の継続行為と認められ、従つて本件所得はいわゆる所得源泉を有する営利を目的とする継続的な行為から生じた所得に該当するものということができる」との結論を出しているが、本件の争点は、清算取引をなす主体を営業者と非営業者に区別し、(1)非営業者のなした一回限りの清算取引に因る所得は一時所得になるのかどうか、(2)右の者が、何回か継続して清算取引を行つた場合、右取引に因る所得の種類は質的に変るのかどうか、(3)本件取引は、一般の場合と区別して判断さるべきかどうかであつたのであるが、原審は、(1)の点に於ては、暗に一時所得であるとの認定をしているものと考えられるが、何等積極的な判断を示していない。(2)の点についての判断は右に見た如く明確になされているが、一回的に見た場合定型的所得源泉とは認め難い場合でも、何故、継続した場合定型的所得源泉となり得るのであるかどうかの点についての理由が示されていないばかりでなく、右の如き場合が、いかに継続し、連続しても定型的所得源に変化すると判断したことは、論理的に矛盾であるといわね推測出来るのである。

本件を特措法の条文により文字通り解明を行えば一年以内に資産の所得がなされていない。

随つて更正に違法性がないと法論するであろうが、他方国家公務員により行政指導推力により指示を受けた上告人の証言が信頼性を欠除するとして排除された場合、保身的な被上告人証言のみとなり真実は曇ざるを得ないのである。

本件は正に国家正義に著しく違反すると言わざるを得ない法の通り上告理由書を提出する。

以上

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